ルルシエラ・リティアルド
開け放たれた窓から、そよ風が厚いカーテンを揺らしている。
遥か高みに位置するこの蒼天箱庭、スフィリアーデは、常に厳しい日光にさらされている。だから、全てがすぐに色あせていき、目にする色はほとんどが白、もしくは空の青。
赤い色は貴重だ。一部の生物や鉱物、そして何より炎の色。表現したいものはそこそこあるのに、一般的な顔料、染料では本当にすぐに色あせてしまう。劣化防止の魔法で長持ちはさせられるけれども、今度は値段が高くなる。
買えないことはない。これでも、それなりに裕福な家の出身だから。ただ、作品に値段をつけるときは、最低でも材料費は全て入れ込むことにしている。それでも購入する方々はいるけれど、やはり顔ぶれが決まってくる。ここ、スフィリアーデで言えば、例えば芸術サロンを営んでいる某女侯爵様であるだとか。他なら、エイシルフェルテにも購入してくださる変わり者の子爵様がお住まいだ。
今のパトロンたちに不満があるわけではない。何せ私は彼ら彼女らのことすらも、その全てを到底知り得ていないのだ。それでもたまに新しい出会いを求めてしまうのは、それが私にとって新たな世界をもたらすからだというのが理由として大きいと思う。欲を言えば碧海箱庭にも同業の知り合いがほしい。私の描く蒼天箱庭の絵と引き換えに、碧海箱庭の絵をくれれば最高だ。
海の中にあるという、碧海箱庭。さまざまな噂話を聞くけれども、果たしてどんな場所なのだろう。海の中ならば、風はほとんど吹かないのだろうか。こうして、カーテンを揺らす風を楽しむこともなく?
私たちが主に鳥の力を借りて移動するように、向こうは魚の力を借りて移動するという。ここ、スフィリアーデはあまり人魚鉢を所有している貴族も少ないから、そういう魚の姿を借りた人を直接見る機会もない。店で売っているのも生きた魚ではなく、切身がほとんどだ。それ以上に、鳥など家畜の肉の方が多いから、魚の切り身だって十分に高級な肉なのだけれど。
宝石のように輝く鱗を身にまとい、きらびやかなヒレで海中を泳ぐという魚たち。そんな魚たちの姿を借りれば、それは鮮やかなことになりそうだ。碧海箱庭そのものも、蒼天箱庭のような厳しい日光は浴びないから、色鮮やかな作りのものが多いという噂だ。
考え事に集中している間に、いい時間になったようだ。そろそろ、あちらこちらで店が開く頃だろう。
日除けに帽子を被り、窓を閉め、胸元の『お守り石』を確認する。
私のお守り石は、我が家を代々見守ってくださっている鷹の一族からいただいた。私が生まれたのと同じ年に孵り、共に育った雛が、若鳥と呼ばれるようになった折に分けてくれた尾羽が使われている纏魂石である。そこそこ珍しい由来のものであることは確かで、お守り石の中でも強力な魔法が使えるのは、やはりお互いが年月と共に積み重ねた信頼関係の賜物だと思われる。
玄関から仰ぐ空は変わらず青い。目的地となる雑貨店の方へ向き直ると、白い屋根の合間に鎧の煌めきが見えた。騎士たちの巡回もいつもと変わらない様子で、安堵の息が漏れた。
いつだったか、多くの騎士が出動し、そのあとに巡回が減った時期があった。若い野良竜が何匹かの群で戯れて、スフィリアーデを取り囲んだ時のことだ。何名もの騎士が竜の戯れに巻き込まれて墜落し、行方不明となり、彼らの捜索のために人手がさらに足りなくなった。私のいとこも魔法の腕を見込まれて騎士をしていたので、心配と不安で生きた心地がしなかったのが懐かしい。
お守り石にそっと手を添え、いつもと同じように魔力を対価として手助けを請う。今日は雑貨店で友だちの誕生日プレゼントを探し、芸術サロンで絵具を仕入れ、ついでに新たな絵が仕上がったことを報告する予定だ。
雲海の上に浮かぶ蒼天箱庭の絵は、題材としては非常にありふれているのだけれど、定番ゆえの根強い人気がある作品だ。今回の依頼主はダウルアリナという碧海箱庭から派遣されていた外交官の方で、近々交代で帰郷されるとのことで、お土産として求めていただいた。
今回の収入で、思い切って赤や黄の絵具を買い込もうか悩んでいる。描きたいのは、夕陽に染まるスフィリアーデ。材料費から考えて、完成しても高価すぎて、誰も買い手が現れないであろう題材だ。一作くらい、冒険作があっても良いだろう。
冒険。そう、たまには冒険するのも悪くない。せっかく碧海箱庭に縁が繋げるかもしれない絶好の機会なのだから、外交官の方には碧海箱庭にいる画家を紹介してもらえるか訊ねてみようか。
碧海箱庭の絵は、どんな色をしているのだろう。
キャラクター紹介
蒼天箱庭の1つ、スフィリアーデに住む令嬢。
実家の財産で十分生活できるが、自作の絵を売る。
物静かな外見に反して知的好奇心が旺盛。
薄茶色の羽を持つ鳥の尾羽を封じた纏魂石を持つ。