幸崎天音と自分

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 連行されてから、結構な月日が過ぎてしまった。詩音しおんの無事は、知れない。
 あまりにも自分が詩音しおんのことを考えすぎるものだから、天音あまねにぃが休日に家までってくれたことがある。けれども、家は盛大せいだいらされており、詩音しおん行方ゆくえ不明になっていた。
 せめてカケルにぃに話を聞きたかったけれど、考えるまでもなく、カケルにぃはあのスラムの住民ではなかったし、かれの職場であろう飛行場にしかけたとしてもきっと会えまい、という気持ちもあったため、かれの元へは行かなかった。
 自分が受けたショックも大概たいがいだったと思うが、天音あまねにぃも見た目にわかるくらい、ショックを受けた様子なのが、意外だった。天音あまねにぃ……幸崎こうざき博士は、周りからはマッドサイエンティストと呼ばれており、決して、部下や部品のあれこれに、心を動かすような人ではないと言われていたから。
 確かに、幸崎こうざき博士としてっているときのかれは、とても冷淡れいたん容赦ようしゃがない。しかも、気まぐれで指示を変えるところもあり、部下泣かせな存在である。
 ただ、最近、思う。天音あまねにぃとしてのかれは、実はもっと親切で、でもさびしそうで、それを表に出さないように頑張がんばっていて、きっとかれにも何かの事情があるのだろうと。
 そんな目で幸崎こうざき天音あまねを見ているのは、もしかしたら自分だけなのかもしれない。幸崎こうざき博士としてのかれ天音あまねにぃとしてのかれ、どちらとも接しているのは自分だけだ。天音あまねにぃと接している人間は、もはや自分しかいない可能性も高い。
 そう考えるたら、天音あまねにぃの存在がとてもはかなくなって、もっと天音あまねにぃを理解しようと思うようになった。そして天音あまねにぃのことを考えながら幸崎こうざき博士のことを見ていたら、なんだか、もっと可哀想かわいそうになってきた。
 だって、これって、大きな子供だ。
 さびしくて、あまえたくて、だれかに構ってしくて、なのに周りの人はれものをあつかうようにしか接してくれず、とことんまで関係をこじらせている。
 幸崎こうざき天音あまねがニンマリと笑うときは、何か、負の感情をかくしているときだ。だから、ニンマリされると背筋が寒くなったんだろう。ニコニコと笑うのは、本当にうれしいとき。だけど、こっちは滅多めったに見れない。
 幸崎こうざき天音あまねは、何かをくるおしく求めている。だから、幸崎こうざき博士はあんなに苛烈かれつな人なんだと周りに思われる。その狂気きょうき的に求められている何かが、とっても単純なモノなのかもしれないと考える自分は、おかしいのだろうか。天音あまねにぃにう自分では、その何かになれはしないか?
 詩音しおんのいない自分には、実験が終わったところで、帰る場所もない。天音あまねにぃが求めてくれるなら、それは自分にとってもがたいことだ。