星空「自分を甘やかしてゆっくり寝る時間です」
夜は彼女の時間だった。猫獣人の彼女は僅かな星灯りで獲物を見つけ、捕らえることのできる狩人だ。一方でエルフの私は夜目が効く筈もなく、光から魔力を合成することもできず、夜といえばただ、眠りに就く時間帯だった。
「ミルクでも飲むかい?」
彼女がそう言って、仄かに温かい木彫りのカップを渡してきた。
「眠れない時にゃ、それが一番さ」
宝石のような蜂蜜色の目を細めて笑う彼女の背後には、圧倒的な、星空。他に灯りは月すらもなく、なおさら瞳の輝きが眩く煌めいていた。
カップを受け取り、口をつけると、ミルクの風味に紛れて微かに嗅ぎ慣れない酒精の香りがした。あと、おそらくこれには、蜂蜜も入っている。断じて、ただのミルクではない。
かつての私なら、飲めなかっただろう。いや、飲もうともしなかっただろう。それが今や、まろやかな口当たりにほっとしているのだから、人生何が起こるかわからないものだ。
そもそも眠れないというのにも、同じ事情が絡んでいる。今の私は純粋なエルフではなく、猫獣人の要素が混ざっている。体質の変化に上手く馴染めず、自分にとって過ごしやすい時間帯も分からず、夜に寝付けなくなったのだ。
そう、猫獣人の彼女は、私の羽だった。エルフにとって羽とはとても大切なもので、唯一無二の伴侶を表すことがあり、羽を諦めたエルフは魂を魔樹に喰われて魔物になることすらある。そして私は愚かにも、告白する前から私の羽を諦めた。削れた魂を彼女が補ってくれなければ、おそらくそのまま魔物となっていただろう。私には猫獣人の要素が混じったし、彼女にはエルフの要素が混じった。猫獣人だった彼女は猫又という、猫獣人の中でも魔法の得意な種族に進化を遂げるに至った。
ちびちびと舐めるようにミルクを飲みながら、ちらりと愛しい彼女を窺うと、彼女もまたお揃いの木製カップで何かを文字通り舐めていた。その舌の動きがあまりに艶かしくて、慌てて視線を自分の飲み物に戻した、が、そこにあったのが彼女の用意したミルクだったので、ますます顔に熱が集まる。
「あん? もう酔ったのかい? そんなに大人向けな味にはしなかったハズなんだがねぇ」
違う、と喉元まで出かかった否定の言葉を咄嗟に飲み込んだ。そうだ、もういっそ、酒の所為にしてしまえ。
「……大人びてなくて、悪かったな」
拗ねたような言葉を返すと、目の前の蜂蜜色がキョトンと瞬いた。
「は? ちょ、アンタ、え? かっ、かわいすぎやしないか?」
拗ねた真似をしていたつもりだったのに、可愛いなどと言われてしまっては、本当に口が尖ってしまう。彼女と混ざって、私の方も、感情を隠すのが下手になった。
彼女がニヤニヤと笑うので、思わずフイと視線を逸らす。ああ、ほら、また感情に引っ張られた行動をしてしまった。
不意に、胸元に柔らかくて温かい何かがグリグリと押しつけられた。彼女の大きな三角形の耳先が、私の耳をくすぐる。
「ふふ」
ご機嫌そうに揺らめく彼女の二尾を見ていたら、だんだんとその輪郭がぼやけてきた気がした。目の前の、温かくフワフワとした、フカフカの手触りに、そのまま顔を埋める。甘い香りが、ぶわりとその濃度を増した。
結局、私はそのまま彼女を抱いて眠ってしまったらしい。朝になり、飲みかけだったミルクが冷めてしまったことを、非常に残念に思った。