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第十一章 可能性の影(詩織)

 通話が切れたあと、病室にはモニターの機械音だけが残った。
 胸の奥はまだ荒く波打っていて、呼吸を整えるのに時間がかかった。
 ——灯香の言葉を、否定したはずなのに。

「……同じように変われたら、今度こそ一緒にいられる」
 あの必死な声が耳の奥で反響する。
 馬鹿げている。危険すぎる。わたしが一番よく知っている。
 それなのに、心のどこかが震えていた。

 もし二人でなら。
 もし灯香となら、あの変化を受け入れられるのではないか——。

 まぶたを閉じた瞬間、夢の底から声が響いた。
 ——やっと、正解。
 ——二人なら、可能。

 凍りついた。
 幻覚だと切り捨てるにはあまりに生々しい囁き。
 まるで、わたしの心を見透かして答えてきたみたいに。

 翌朝、検査が始まった。
 血液を採取され、呼吸機能を測定され、画像検査の台に横たわる。
 担当の同僚たちは、いつになく真剣な顔で数値を覗き込んでいた。

「……血中酸素、安定しています」
「肺胞の破壊は進んでいるのに、酸素交換が補われている……?」
「吐花がないぶん、他の患者と経過が全く違う」

 囁き合う声が、耳の奥でざわめいた。
 わたしの体は、もう人の常識から外れかけている。

 夕方、病室に戻されたとき、主任医師が慎重な声音で言った。
「規定上は即時判断できません。ただ……前例のないケースです。もしこのまま吐花がなければ、隔離解除の可能性を検討することになるでしょう」

 希望のようで、恐怖のようだった。
 灯香に会えるかもしれない。
 けれど、既にわたしは【ヒト】から逸脱し始めている。

 ——二人なら、可能。

 夢の声が、影のように胸に居座った。
 それは救いか、誘惑か。答えを見出せないまま、わたしは目を閉じた。